はい、ニッポン人120%で海外を旅するZoroです。
今回は、自由の女神とブルックリン大橋を着物で大暴れした時の話です。
ブルックリンの宿から電車に乗車

朝早だったからだろうか、閑散とする電車。
ブロードストリート駅を降りて、フェリー乗り場のあるバッテリー・パークに徒歩で向かいます。
早速、電車の中で座り込むという暴挙に出ています。(誰もいませんでした。)
そして、フェリー乗り場に着くと同時に、 驚かせてくれたのが、船に乗るための厳重な検査!


とか、最初は思ったのですが、自由の女神はアメリカの象徴ですからね。
アメリカに対する世界の不満を考えると、自由の女神が爆破される可能性も大いにあるか・・・。
世界から、こんな無駄な検査がいらなくなる日を願いつつ、ゲートを抜けました。
やはりと言うべきか、人は結構いました。

自由の女神が住むリバティ島へいざ出発!

フェリーが出発して、かすかに見えていた自由の女神の姿がくっきり見えてきました。
想像してたものより小さかったものの、やはり直下に行くと圧巻でした。
直下は、写真撮影の人で溢れかえっています。

せっかく上陸したので、僕たちも持てる限りの力を振り絞って、着物で写真を撮影を楽しみました。

帰り際に、カヌーで見にくるツアーを発見!
これはこれで面白そうでしたね!
もし、これから自由の女神を見に行くという人はぜひ^^

エリス島「移民博物館」の方が楽しかった件

「自由の女神」(リバティー島)に行くフェリーチケットには、エリス島「移民博物館」の分も含まれています。
フェリーでの帰り道には、必ずエリス島に一度停泊しますので、僕たちもついでに行って来ました。
個人的には、自由の女神よりもこっちの方が楽しい!!!
そもそもエリス島とは
エリス島 – Wikipedia
19世紀後半から60年あまりのあいだ、ヨーロッパからの移民は必ずこの島からアメリカへ入国した。
移民たちによって『希望の島』(Island of Hope)または『嘆きの島』(Island of Tears)と呼ばれてきた。
約1200万人から1700万人にのぼる移民がエリス島を通過し、アメリカ人の5人に2人が、エリス島を通ってきた移民を祖先にもつと言われている
簡単に言ったら、世界各国から、様々な理由でアメリカに渡って来た人たちの入国審査場でした。
入国審査は、通常は数時間で、姓名や所持金を含む29の質問に答えるだけだったが、感染症の疑いや身元に疑いがある場合などには長期間エリス島に隔離された。
3000人以上の移民がエリス島で抑留中に死亡した。
連邦政府にとって重要なのは、移民がとりあえずやっていけるだけの所持金(概ね18ドルから25ドル)を持参しているかどうかだった。
今も、アメリカの入国審査は他の国に比べたら厳しいですが、昔はもっと情のかけらもなかったようです。
移民の中に、先輩を発見!
博物館の中には、過去に夢を持ってアメリカに渡って来た移民の写真が展示されてます。
なんとなく見ていると、なんとそこに日本人の移民の写真が!!!

日本からも遥々、アメリカに来ていたのですね。
もしかしたら、もしかしたら、抑留中に死んでしまったかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうでした。

先輩たちがどういう思いを持って、どういう理由でアメリカに渡ってきたのか。
感慨深く感じました。
マンハッタンを一望できるスポットで記念撮影
博物館の裏に、マンハッタンを一望できる素敵なスポットがあることを発見しました。
せっかくなので、写真をとりました。

はだけてる具合から暴れっぷりを想像していただければと思います。笑
最後は、ブルックリン大橋でブリッヂ

その後、マンハッタンに戻り、ブルックリン大橋を観光することになりました。
倉庫がショッピングモールやカフェになっていて、オシャレでした。
最後に、一発面白い写真を撮ろうと、橋(ブリッヂ)にかけてブリッヂをしてきました。
フェスでゴザを敷く人たちにビックリ

たまたまブルックリン大橋の公園で、祭りみたいなものが開催されていましたので、行ってみました。
すると、びっくりしたことに、ゴザを敷いて寝転がるアメリカ人の姿が!
いよいよ、日本文化が世界を圧巻し始めたな〜と感じました!
日本人としては嬉しいことですね!
まとめ
ということで、今回は、自由の女神とブルックリン大橋を着物で旅をしてみました。自由の女神は、思ったより大きくありませんでしたが、一見の価値はありです。もし行けたら、移民博物館を訪ねてみてくださいね!