Mizuno zoro akihitoのプロフィール

こんにちは当ブログを運営しているzoroです。

今回は僕が何者なのかというお話

  • どんな生活をしているのか
  • どんな人生を歩んでいたのか
  • これからどんな人生を歩むのか

など、簡単なストーリー形式でお話させていただこうかと思います。

是非気軽に読んでみてください。

小学校の先生を目指していた大学時代

先にお伝えしておくと、僕の人生は、

大学時代に出会ったある少女の言葉で激変します。

それまでの僕の人生は、至って普通。

スポーツに明け暮れた小中高時代を過ごし、

小学校の体育の先生になりたくて、国立三重大学に進学しました。

普通に授業に通い、友達と遊びながら

「このまま将来は、体育の先生になるんだろうな〜。」

と漠然と思っていました。

しかしある時、ふと思ったことがありました。

「世界」も知らないで先生になってもいいのだろうか?

グローバル社会と言われている昨今。

今の子どもたちは、

将来、日本だけでなくグローバルに活躍して世界を動かす人たちです。

そんな、子どもたちを育てるのが先生の役目・・・だとしたら・・・

世界の「せ」の字も知らずに、何を子どもたちに教えられるんだろう?

と、疑問を持ち始めたのです。

そして、大きな決断をしました。

そうだ!海外ひとり旅に行こう

大学の春休み、僕は人生初のひとり旅を実行します。

タイ、マレーシア、シンガポールを、マレー鉄道寝台列車で巡る旅。

正直、今まで見たこともないような過酷な環境で暮らす人々を見て、ショックを受けました。

どれだけ日本が平和で便利だったのかを思い知りました。

それだけでも日本を離れた甲斐がありましたが、さらなる出会いが私を待っていました。

僕は、シンガポールで出会である少女と出会いました。

私の人生を激変させた、ある少女の一言

彼女は、シンガポール育ちなので英語はもちろんペラペラ

僕が英語を話せないことなんて御構い無しに、ギャンギャン英語で話しかけてきました。

ところが、僕は、

「How are you?」

という質問に対して、自信満々に

「YES!!!」

と答えるレベルの英語力の低さだったので、

会話になるはずがありません。笑

徐々に、僕が英語が話せないことを悟った彼女は、それまで笑顔だったのが、突然真顔になりまして・・・

見透かすように・・・

鼻で笑いながら・・・

こう言ったのです。

「Do you only learn one word in English every year?haha. 」

つまり、訳すと

「あなたは、一年に一単語しか英語を勉強しないの?ははは。」

最初は、何と言われたのか理解できずに、「ははは。」と僕も一緒に笑っていたのですが、後に、頭を振り絞って、冷静に考えてみてやっと意味を理解しました。

理解できた瞬間、僕の中で何かが弾けました。(血管も弾けそうになりました。笑)

オーストラリアへ語学留学

その少女との出会いによって僕は、自分の英語力の低さに絶望しました。

会話ができなければ、表面的には楽しい海外旅行でも、本当の意味で世界を知ることはできない。

と、深く感じました。

帰国後・・・

The単純な僕は、すぐさま休学の手続き開始しました。

「オーストラリアに語学留学(ワーキングホリデー)」に行くためです。

日本に帰って来たときには、少女に「ギャフン!」と、言わせてやれるくらいの英語力を身につけてるだろう。ムフフ。

と淡い期待を抱きながら、

気づけば僕は、オーストラリアのヌーサという街に降り立っていました。

自分の中身がスカスカだと気づいた現実

多くの海国人と話す機会がある中で

「日本の最初の神様って?」
「神社とお寺の違いって?」
「帯の結び方教えて?」
「なんで日本人は礼儀正しいの?」
「忍者はまだいるの?」

などなど、日本のことを色々と聞かれました。

恥ずかしながら、僕は、全く答えられませんでした・・・。(忍者以外)

僕の英語力の問題もあったかもしれませんが、日本語でも答えが出てこなかったのです。

一方、僕が友達に質問をすると、スラスラと自分の国の神話や歴史を答えてくれるのです。

自分の国のことは知ってて当たり前、知らなきゃ品格を問われる。

これが、世界の常識でした。

国籍は日本人だけど、中身がスッカスカな自分に気づいた瞬間でした。

井の中の蛙「井の中すら知らない」ことを知る

つまり僕は、海外を知りたくて、海外に飛び出したわけですが、

「日本すら知らない、スッカスカのニッポン人だった」

という、滑稽で皮肉な現実に気づいてしまったのです。

井の中の蛙、大海を知る。

それ以前に、僕の場合は

井の中の蛙、「井の中すら知らない」ことを知る。

でした。

「日本」インストール開始!

井の中すら知らない自分が恥ずかしくなって、帰国後、日本について本気で学び始めました。

教科書には載っていない、「本当の日本の姿」を学ぶために、多くの講座に参加し、伊勢神宮、出雲大社などにも、わざわざ足を運びました。

そして、徐々に、日本(日本人)ってこんなすごかったのか!

と、目から鱗が落ちるような、本当の日本の姿が見えてきたのです。

例えば

世界で一番、長い歴史を持つ国。

年表見てわかる通り、日本だけ日本のままずっと続いている奇跡。

1000年続く企業が9社もある奇跡。

もちろん、世界で一番続く企業も日本。

震災後も、一切暴動が起きないモラル溢れる国。

当たり前かと思ってたら、海外では当たり前じゃないらしい。

平和で人が良く、経済も安定し、食も美味しい。

日本の歴史を振り返り、世界と比較してみましたが、こんな素敵な要素が溢れている国、世界ではとても稀だったんです。

普段着で着物生活の開始

日本を学ぶために、知識だけではなく、「形」からも入ってみよう。

と思い、着物で生活をはじめました。

東京のど真ん中で、着物生活。

ほんの、70年前(おじいちゃんの世代)は、ほとんどの人が着物だったのでしょうが、今や99%洋服の人で溢れています。

そんな中、堂々と着物で闊歩しておしました。

まあ、バッチリ見られますよね!

正直、見られすぎて、精神的に辛かったです。笑

「だったら、やるなよ!」

と、思うでしょうが、これも日本人になるための修行だと思って続けました。

遊びに行くときも、買い物にも、セミナーにも着物。

ちなみに、会社も和服で行ったのですが、普通に社長に怒られました。笑

私服OKの会社なのに、なぜか和服がダメなのだろう?

と納得いかずに、もう一回着物で会社に行ったのですが・・・

やっぱり、また怒られました。笑

海外ならまだしも、ここ、日本なのに・・・

そんな着物に対しての冷たい目線を浴びながらも頑張って生活していた矢先、運命の出会いがあったのです。

茶道との出会い

着物で生活していたある日のこと

「着物で生活するくらいだったら、一緒に茶道やろうよ!」

と、ある講演家の方に茶道を勧められたのです。

昔だったら、「茶道なんて古臭い」と絶対やらなかったですが、

その時は、中身のある日本人になるために行動していた時だったので、

「茶道をやりたい!」

と直感的に思いました。

唯一無二の「茶道民泊」を開業

「民泊をして、茶道で外国人をおもてなしたい!」

そう思い、一軒家をリフォームして

「茶道体験ができる民泊」

を立ち上げてみました。

おかげさまでAirbnbからスパーホストの称号をいただき、僕の想像をはるかに超えるほど、世界中からお客様がいらっしゃいました。

1人で運営していたので忙しかったですが、こういったお客様の笑顔が疲れを吹き飛ばしてくれました。

今一度、世界へ飛び立とう

そういった過程を経て、私は「今まで学んできた自分の中の日本」を世界に還元する旅をしようと思い立ちました。

テーマは「日本人全開」

日本人として、世界で生活する旅するのです。

そのために、具体的な3つの行動をしてみることにしました。

普段着は着物

日本と言えば、やはり着物です。

日本人と一目でわかるように着物します。

竹の自転車

日本人としての移動手段は何かと考えた時に、ふと思い立ったのが竹の自転車でした。笑

日本人全開ですから!竹の自転車くらい持ってかないと!笑

竹の自転車を提供してくれたGERWORKSのジェルソンさんに本当に感謝です。

交流は茶道

僕の中の最大の日本人たる要素は「茶道」です。

茶道を通して世界の人と交流をします。

「ジャガシルク」のセールスパーソンとして

旅の最初の1年間は、カナダのお茶の卸売の会社「ジャガシルク」にて、セールスパーソンとして働かせていただきました。

・小売セールス、ティーバー(Tea bar)の責任者

・日本のお茶(特に抹茶、茶道)ついて教育係

・茶道のデモンストレーション

など、幅広く日本のお茶について世界に広める活動をさせていただきました。

ビクトリアのTea festivalにて茶道のデモンストレーションをさせていただきました↓

色々と挑戦させていただいたジャガシルクには、本当に感謝でしかありません。

一椀から平和(ピースフルネス)の旅

その後、カナダ、アメリカ、南米と茶道を通して世界を旅をしました。

茶道の持つ「平和の力」を感じました。

茶道を知らなくても、言葉が通じなくても、お茶碗一杯あれば世界の人と通じることができる。

コロンビアで出会った少女が、そう教えてくれました。

私はこの旅を通して、「日本文化は世界を魅了する」ということを証明できたように思います。

今後について

もともと、この旅は

「子どもたちのためにも、自分が世界を知っておきたい」

という思いが出発点でした。

世界の人たちと触れ合う中で、様々な価値観があることに気づきました。

「日本の価値観が全てじゃないんだ」

それを知れただけでも、世界に出て本当に良かったと思っています。

一方で、海外に出たことで日本人としての自覚が芽生え、日本文化の魅力を世界に発信することが私の軸になっていました。

世界の人達の反応を目の当たりにして

「日本の価値観も大切なんだ」

そう思うようになっていました。

「日本の価値観が全てじゃないけど、日本の価値観も大切。」

そうした感覚の子どもたちを育てることが、グローバルな社会で生き抜く子どもたちには大切なんだと思うようになりました。

ひとまず、私の長い旅はここで区切りです。

今後は原点に立ち返って、私の経験を還元できる仕事につけたらと思っています。